Untitled Trueman's Digital Archive

~Gallery of Hindsight 2020~

探検するということ

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Olympus E-1 + Zuko Digital 12-60mm

「探検するということは、広く歩き回ってものを見ることであるよりは、むしろ一つの地点を発掘することである。迂闊に見逃してしまいがちな一つの光景や、ほんの小さな景色、飛行中に考えたことーこうしたものだけが、さもなければ不毛なままの地平を、理解し、解釈することを可能にしてくれる」(クロード・レヴィーストロース「悲しき熱帯」より)

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Olympus E-1 + Zuiko Digital 12-60mm

科学することは、恐ろしいことである。なぜならば、科学的事実が目の間に突きつけられるからである。哲学することは、おぞましいことである。なぜならば、ある主題から別の主題を導き出すときに、合理的に思考することを強制されるであるからである。目の前の事実にきちんと「向き合って」「合理的に」考える(すなわち不合理な断定や拒絶を排除する)ことを自らに強いること。この恐怖に耐える強度を、私たちはまだ持ち合わせていないように感じる。

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Olympus E-1 + Zuiko Digital 12-60mm

先日、ある人に、突如として頭を下げて謝られた。心当たりがないのに謝罪されるというのは、奇妙な感触である。しかし別のある人に言われた。「あれはお前に対して謝っているのではない。別の人たちに謝っているのだ」と。なるほど、そう言われてようやく奇妙な違和感が消えていったのであった。

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Olympus E-1 + Zuiko Digital 12-60mm

ところで、2003年発売のこのカメラ、500万画素しか無いけれど、私の使用用途には十分以上に十分です。オートフォーカスも「爆速」だし(私にとっては)、とても綺麗に色が出るし、画像全体から透明感のようなものすら感じるような気がするわけです。センサーサイズが小さい故、何を撮ってもパンフォーカスになっちゃうのは、単調な印象も出てしまうのですが。

カメラも「探検する」ということは、色々なものを試して回るのではなくて、一台のカメラを使い込むっていうことが大切なのかもしれませんね。と言いながら、「やっぱフォーサーズ悪くないじゃん。OM-D EM1 MarkIII買っとこうかな」とか思って、量販店のデモ機でファインダーの見え具合を確かめて「おっ、やっぱEM5よりも大きくて見やすいね〜」と感心したりしている私がいるのでした。。

ところで上の写真の本行寺には、山頭火の句碑が建てられているのでした。

「ほっと月がある 東京に来てゐる」(山頭火 昭和11年4月4日)

おいしいというときはおいしいといおう

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Olympus E-1 + Zuiko Digital 12 - 60mm + RAW developed by LR

気になる。大変気になっている。それは、ビールのCMでなぜ、俳優たちに「美味しい!」と言わせるのか、ということである。「美味しい」という言葉を使わずに「美味しい」ことを伝えられるのが、映像の良いところだであり、私たちが新しいものを作り出す、とはすなわち私たちがすでに知っている「既知」を、先入主によることなく「リアル」に、他者の心中に現出させる、ということではなかったのか!(ここで、ドン、と机を叩く。)

ま、いいか。

ところで、この15年前のデジタル一眼レフで撮ったしゃしん、きれい!でしょう?

あ〜きっれ〜いい!なにこれ、めちゃくちゃきれい!!いや〜。。。こ・こ・ま・で・とわ〜猫ちゃんちょうかわい〜、もうヤバい、ヤバい〜ね、かわいいでしょう?めっちゃくちゃ可愛い、なにこれ、きゃー。

昔、「幸せなら手をたたこう♪」って歌があったけど、2020年代においては意味をなさない。なぜならば、「幸せ」=「手を叩く」という記号の関係が消失してしまったからである。

そう、「幸せ」なら「幸せ!」というのだ。

きゃー、幸せ!私めっちゃくちゃ幸せ、もうやばいくらい幸せ!!し・あ・わ・せ〜、超ヤバいくらい超幸せ!

そんなことを言ってる幸せな人間って、実際いるか?

ま、いいか。

とにかく、意外とこのオリンパスE-1いいのだ。15年前のデジカメだよ?名機ですよ。いやほんと。めっちゃくちゃいい。重くてしょうがないけど。

どれくらいいいかって?

いやだからもう、ヤバいくらい超いいんだよ!

 

ゾシマ長老の教えに教えられる

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Fujifilm X-T4 + XF16-80mmF4.0 + Provia Mode

「いや、ディドロのことではありません。大事なのは、自分に嘘をつかないことです・・・」

「自分に嘘をつくものは、他の誰よりも腹を立てやすい、何しろ、腹を立てるというのは、時としてたいそう愉快なものですからね。そうではありませんか?なにしろ、本人からしてわきまえているのですよ。自分を傷つけたものなどだれもおらず、本人が勝手に傷をこしらえ、体裁をつけるためにほらを吹き、絵としてさまになるように誇張し、他人の言葉尻をつかまえては、針ほどのことをまるで棒のように触れまわっていることを。」

(「カラマーゾフの兄弟」第2篇「場違いな会合」亀山郁夫訳 光文社古典新訳文庫

いや全くもって、長老様のおっしゃる通りでさあ!いったい何で、みんなこんなに簡単なことに気がつかないんでしょうね?確かによく注意をしてみると、腹を立てている人間というのは確かに一方で実に愉快そうにもしているわけですし、おまけにあれです、自分は今最高にカッコいい、と自惚れて陶酔しているような節さえ感じますんですから、へえ!

・・・と、思わずフョードル父さんと一緒になって、感心しちまったってわけです、へえ。

「ライカで撮る理由」4

 

ゴミ取り機能がないのがデジタルM型ライカの最大の弱点・・・と認識はしていたけど、これほど早く問題が露呈するとは。。我が家には猫がいるので、室内は常に細かい埃が舞い飛んでいる環境、自宅ですらレンズ交換はご法度。ということで、家に持ち帰ってズミルックスを結合して以来、一度もレンズ交換はしていないのですが、シャッターユニットから油分が飛んだのか、ほこりなのか・・・気になりだすと気になって仕方がなくなるので、もうこれは気がつかなかったことにするかな。。

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シェイクダウンでこの写真を撮ったときにはなかったので、その後レンズ交換は一度もしていないことからするとカメラ内部から出てきたゴミなんでしょうね。まあ、これまでフィルムをスキャンして、Lightroomのスタンプツールでせっせとゴミ取りしていたことを考えれば、これしきのゴミ取りは楽勝でしょう。。

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ゴミが増えてくる様なら、いつでも気兼ねなくライカ直営店に持ち込むことができるので、こうした点でも直営店の保証つきのものを選んだのは正解だったかな、と思います。

早速3時間ほど取り歩いたのですが、バッテリーの減りが少ないのには少し驚きました。まあ、考えてみれば、オートフォーカスもないし、手振れ補正もないし、ライブビューも使わないので、電気を使う場面が少ないせいかな。これなら予備のバッテリーは買わなくても良さそうです。

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今日も2時間ほど赤羽周辺を撮り歩いてきたけど、「撮影している」という充実感は他のデジタルカメラにはないものがある様に思います。それがどこからくるのかがよくわからないのですが、ずっしりとしたカメラの重さとシャッターを押した時の感触や動作音、色々な機能がついていないことで、撮影に集中できるというか、気が散る要素が少ないというあたりにあるのかな。

唯一の欠点は、やはりセンサーのゴミですね〜。特に私の場合は、屋外である程度絞り込んでスナップを撮ることが多いので、気になってしまいます。今のところF8程度まで絞った状態で画面の右端と左下に2箇所ゴミの影が見えているのですが、それほど邪魔になる場所でもないのと、この2箇所以外は綺麗な状態の様なので、当面レンズを交換するつもりもないし、このまましばらく使い続けてゴミが増えていくかどうか様子を見ようと思っています。それまでの間、センサーについたゴミは、ソフトウェアのスタンプツールでとってあげることが前提のカメラなのだと思う様にしようと思っています。。

「ライカで撮る理由」3

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まだ散り残っている紅葉を撮ってみました。当然のことながらマニュアルフォーカスなのですが、しっかりとシャープに撮れています。フジフィルムのXマウント用アダプターは純正品とサードパーティ製のものと二種類試してみたこともあったのですが、なんだかパリッとしないね・・とすぐに使うのをやめてしまったのですが、ライカボディとの組み合わせだとやはり違いますね。。

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画像設定のオプションは「なし」「ヴィヴィッド」「スムース」「白黒」だけ。これは「なし」のRAWで撮影したものをそのままJpegに変換したのですが、色の出方が独特です。

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晦日の夕景。久しぶりに空を撮ったな〜。

・・・とこのカットを見直していたら、早速センサーゴミを一個発見・・・おいおい。



「ライカで撮る理由」2

さて、数時間後。

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結局私が購入に及んだのは、ライカ直営店にて取扱いのライカ認定中古のM Type240のブラックペイントモデルとなりました。中古のライカではこれまでも「完璧」という物件はやはりなく、どこか気になる点があるというのが正直なところです。手持ちのフィルムライカに関しては、一番新しいM6ですら30年前の品物ですから「こんなもんかな」と納得しているのですが、今回の物件はお値段がお値段だけに、変に後悔する様な買い物にしたくなかったこともあり、直営店の認定中古品で2年保証つき、という点を重視したのでした。

ボディの厚さが、フィルムのライカ33.5mmに対して、37mmと厚く、ボテっとした印象があったのですが、見慣れてくるとこれはこれでありというか、見ようによっては可愛らしく感じてくる様な気もします。

ファインダーの右上の角や、裏側の左肩部分に大きめのスレがありますが、真鍮の地がでて、言い方によっては「自然なエイジング」(?)が出来ているということもできます。

以前、あるお店の店頭でいじらせてもらった時には、シャッター音がうるさいなと感じた様に思ったのですが、個体差なのでしょうか、シャッターを押してみると「クシュッ」というようなこもった様な音で、前に感じたよりも上品な印象です。

同じType240で白ボディやM10の黒も見せてもらったのですが、さほど迷うことなく、ブラックペイントのType240に決定。

ズミルックスをつけさせてもらい、絞り開放で試写したのがこちら。

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おおお!なんか、それっぽく写るね〜。

ということで、ずっと欲しかったズミルックス50mmとの組み合わせにて、デジタルライカの沼に飛び込んだ私でした。。

「ライカで撮る理由」1

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Leica M Type 240 + Summilux 50mmF1.4 + RAW Auto developed to Jpeg by Adobe LR

12月はことのほか忙しく、ブログを省みている余裕もなかったのですが、クリスマスの週になってようやく落ち着きを取り戻し、そんなある日私は突如として気が触れてしまい、気がついたらついにデジタルライカを手にしていたのであった。

そもそものことの発端は、今年の夏場、感染症の拡大の影響か、心なしかいつもより空気のきれいな東京の快晴に恵まれたこともあってかポジフィルムでの撮影にハマってしまい、調子に乗って週末に2〜3本のポジフィルムを費消していた時期があったのでしたが、ある時いつもの写真屋さんに現像からあがったフィルムを受け取りに行った時に、「これってすごいコスト高いな〜」と、ふと我に帰ってしまったのでした。そこに持ってきて、7年目に入ろうとして調子がいよいよおかしくなってきた母艦iMacを思い切って新調した拍子にEpson Scan2にスキャナドライバも切り替えたところ、シャープネスをかける方法がわからず、高額なポジフィルムでピント甘々なデジタル画像を量産していた時期があり、フィルムからデジタルへの帰還を真剣に考え始めたというわけです。

11月に一度物欲が燃え上がった時は、CCDセンサーに特徴のあるM9を考えていたのですが、実物を確認した時シャッターを切った後に続くチャージ音が個人的には合わないなと感じ、気持ちが冷めてしまいました。M9の後継機種のM240やM262はCMOSで普通のデジタルカメラとあんまり変わらないんじゃないか?ボディもぼってりしてるし・・・ということで「結局M10、いや長く使うことを考えれば、現行のM10-Pにしておくのが正解でしょ」という結論に到達したところで、「ってか、そもそも100万円もするカメラで撮らないとならない様な写真撮ってないしな・・」「M10-PはM10よりもシャッター音が静かっていうけど、80万円〜100万円もするカメラなんだから、その程度のことなら最初からなんとかならなかったのかね〜」「こんなに高いカメラ、なんか身分不相応だな・・・」ということに気がついてしまい、M型デジタルへの熱が一気に覚めてしまったのでした(代わりにOM-DとD750を放出してX-T4を買った。。)。

しかし、年内の仕事もひと段落してしまった金曜日の夜、突如として、私の心は決まったのでした。「よし、デジタルライカに逝っちゃいましょう」と。。

その時点で購入を考えていたのはTypeM262でした。やはり新品のM10-Pは敷居が高すぎるし、かといって2013年の発売から数えて8年目に入ろうとするM240はそれほど先が長くないかもしれないし、Type262なら、2015年発売だし、もう少し長く使えるのでは?と考えたわけです。

ということで、爽やかなある冬の日曜日の朝、スマホのJ-Cameraのウェブサイトの「お気に入り」にM Type262の美品、M-P、M10を記憶させた私はいつもの横須賀線にて東京へと向かったのでした。