Untitled Trueman's Digital Archive

~Gallery of Hindsight 2020~

だから、「坊っちゃん」

私はそれほど多くの本を読んだわけでもないが、それでもしかし、日本文学の中で最も素晴らしい作品を一つ挙げるとすれば、それは夏目漱石の「坊っちゃん」であろう。何故この作品が私の心を捉えて離さないのかその理由を考えてみるに、集中して読めば3〜4時間もあれば読めてしまうこのどちらかというと短い物語は、色々な角度から読み直し、眺め直すことで新しいことを発見できる、「まるで気づきの玉手箱や〜!」・・・。

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Leica M + Summilux 50mmASPH

例えば、同僚の教師「山嵐」から、初対面の挨拶がわりにと、氷水いっぱいを奢ってもらった坊っちゃんが、後で赤シャツの一味から山嵐が悪口を言っていたという告げ口を間に受けて憤り、氷水代を山嵐に突き返そうとする、というシーンがある。

「たとい氷水だろうが、甘茶だろうが、他人から恵を受けて、だまっているのは向うをひとかどの人間と見立てて、その人間に対する厚意の所作だ。割前を出せばそれだけの事で済むところを、心のうちで難有いと恩に着るのは銭金で買える返礼じゃない。無位無冠でも一人前の独立した人間だ。独立した人間が頭を下げるのは百万両より尊といお礼と思わなければならない。」Soseki Natsume. Botchan (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1002-1006). Kindle . 

何気なく読み飛ばしてしまうところだが(というか、「坊っちゃん」全体が、ともすれば何気なく全部を読み飛ばして、「なるほどね、面白い」で終わってしまうような軽さを纏っている)、「菊と刀」の中でルース・ベネディクト女史はこのシーンに日本人の典型的な精神病性が如実に現れていると述べている。

「瑣末な事柄にこれほど神経をとがらせ、また、これほど痛々しい傷つきやすさをあからさまにする事例は、アメリカでは非行少年グループの調書や神経症患者のカルテにしか見られない。しかしこれは、日本人の美徳なのである。」ベネディクト,角田 安正. 菊と刀 (光文社古典新訳文庫) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1906-1908). Kindle 版.

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Leica M + Summilux 50mmASPH

また、坊っちゃんが学校の生徒たちを「祝勝会」に引率して連れて行くというシーンでは、生徒たちの野放図ぶりを揶揄する以下のようなくだりがある。

「・・・命令も下さないのに勝手な軍歌をうたったり、軍歌をやめるとワーと訳もないのに鬨の声を揚げたり、まるで浪人が町内をねりあるいてるようなものだ。軍歌も鬨の声も揚げない時はがやがや何か喋舌ってる。喋舌らないでも歩けそうなもんだが、日本人はみな口から先へ生れるのだから、いくら小言を云ったって聞きっこない。」Soseki Natsume. Botchan (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1985-1989). Kindle 版.

「松山(引用注『群衆 機械の中の難民』を緒した松山巖」)は、漱石の祝捷会の描写のなかに出てきた生徒らのなかに、日比谷焼き打ち事件の大衆を見ているのである。それは通常考えられているような、都会人の田舎の人間に対する単なる蔑視ではなく、近代の大衆批判だというわけである。鋭い指摘と言えよう。」筒井清忠. 戦前日本のポピュリズム 日米戦争への道 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.567-570). Kindle . 

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ところで、最後の一行で漱石が使った「だから」は、日本語史上もっとも美しい「だから」の使いかた、と井上ひさしが評したということはよく知られているようである。

清の墓があるお寺とされている「養源寺」というお寺は、漱石が「清」のモデルとした友人の祖母の墓がある寺として実在するのだが、作品に書かれているように「小日向」ではなく同じ文京区でも「千駄木」にある。小日向は一度歩いたことがあるけど、まさにその名前のとおり、小春日和の日当たりの良い丘の上の住宅地であった。

こうして読んでいくと、漱石が設定した「坊っちゃん山嵐」vs.「赤シャツ、野だ」の二項対立構造は、僕が最初にこの本を読んだときに把握したように「正義」vs.「悪」というように捉えることもできるが、この物語は実は、この作品が描かれたときに訪れようとしていた未来をあえて「影」にして、過ぎ去り、徐々に遠ざかっていく過去を「陽」においた「陰画」だったのではないか。物語の進展とともに、日差しが陰って行くように、明るさが失われ、そして薄い夕闇のなかで物語が終わる。そして庭の片隅に残った小さな陽射しのかけらを、最後の一行に「小日向」という3文字を用いることによって描き出しているのかもしれない。

そんなふうに思います。