Untitled Trueman's Digital Archive

~Gallery of Hindsight 2020~

Fujifilm X-T4と「三四郎」

「『どこか静かな所はないでしょうか』と女が聞いた。

谷中と千駄木が谷で出会うと、いちばん低い所に小川が流れている。この小川を沿うて、町を左へ切れるとすぐ野に出る。川はまっすぐに北へ通っている。三四郎は東京へ来てから何べんもこの小川の向こう側を歩いて、何べんこっち側を歩いたかよく覚えている。美禰子の立っている所は、この小川が、ちょうど谷中の町を横切って根津へ抜ける石橋のそばである。

『もう一町ばかり歩けますか』と美禰子に聞いてみた。

『歩きます』」

Soseki Natsume. Sanshiro (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1707-1712). Kindle .

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Fujifilm X-T4 + XF16-80mmF4.0 + RAW developed by Adobe LR

1年ほど続いた「ライカモード」を経て、先日、久しぶりに我が家の最新鋭機、FujifilmのX-T4にズームレンズをつけて持ち出しました。フジのXシリーズはJpegで綺麗な写真が撮れるのでもっぱらJpegモードで撮影していましたが、今回は久しぶりにRAWで撮影して、Adobe Lightroomで現像してみました。

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今回は東西線神楽坂駅から早稲田駅の間を放浪。この辺り、明治の文豪、夏目漱石と縁のある土地です。街を歩いているうちにすっかり懐かしくなって、数十年ぶり?に「三四郎」を読んでみたりしました

「すべての物が破壊されつつあるようにみえる。そうしてすべての物がまた同時に建設されつつあるようにみえる。たいへんな動き方である。」

Soseki Natsume. Sanshiro (Japanese Edition) (Kindle の位置No.263-268). Kindle 版. 

熊本から上京した三四郎は東京に驚く。上に引用したのは、その彼のobservationの一部ですが、100年経った今日においてもこのことは変わらない。「変わり続けること」だけが「変わらない」東京の姿なのでしょうか。

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X-T4の良いところは、なんといっても、静かでソフトなシャッターレリーズの感触です。私じしんの使い方では、動画も撮らないし、連写もしないし、超高感度も使わないので、X-T4である必要はないのかもしれませんが、シャッターを切った時の感触や、ISOダイヤル、シャッタースピードダイヤルのクリック感といったユーザーインターフェースがPro-1、 Pro-2、X-E2にはない落ち着いた品質を感じさせるのですよね。ということで、すっかりX-T4に惚れなおしてしまった私、今週も持ち出したのですが、昨日のような重苦しい曇り空という状況だと、デジタルらしいシャキッとした画像が撮れず、そのうち雨粒が落ちてきたこともあり、珍しく1時間ほどで撮影を切り上げてしまいました。

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どうやらデジタルカメラはよく晴れて、空気の澄んだ日に使うのが良いようです。

ところで、冒頭に引用した「三四郎」の一場面は、おそらく今の千代田線千駄木駅のあたりではないかな。この辺りに南北に谷戸川という川が流れていたようです。今は地下水道に姿を変えてしまっていますが、この辺りを歩いていると、いかにも以前は川筋でした、というくねり方の路地があるのだけど、三四郎がいっている「小川が流れている」というのは、この路地、かつての谷戸川のことなのではないかと、思います。ここから少し歩いて草の上に腰を下ろしたところで美禰子が「Stray Sheep」と呟くわけなのですが、そんな長閑な風景の面影は、今は想像するしかありません。

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やはり「三四郎」の冒頭、東京に向かう汽車で乗り合わせた男(広田先生)との会話の中で、西洋人は美しい、日本人は「哀れ」だ、いくら日露戦争に勝って一等国になったと威張っていても、中身は貧しいものだ、という男に対して、三四郎がやんわりと否定の言葉を口にする。

「・・・三四郎日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。

『しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう』と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、

『滅びるね』と言った。」

Soseki Natsume. Sanshiro (Japanese Edition) (Kindle の位置No.249-251). Kindle 版. 

この小説が書かれたのが1908年。日露戦争の3年後。ポツダム宣言受諾まで37年。歴史の時間軸の中で考えると、果たして今、40年後の日本をこれほど的確に予測できる人間がいるだろうか。

この小説を読んでいると、学生たちの会話の中には、冒頭のベーコンに始まり、カント、ヘーゲルニーチェまで登場する。「御一新」以来ほんの数十年の間に西洋的思想を吸収しようとした日本の「駆け足」ぶりが垣間見えるようです。

 

ヘーゲルの講義を聞かんとして、四方よりベルリンに集まれる学生は、この講義を衣食の資に利用せんとの野心をもって集まれるにあらず。ただ哲人ヘーゲルなるものありて、講壇の上に、無上普遍の真を伝うると聞いて、向上求道の念に切なるがため、壇下に、わが不穏底の疑義を解釈せんと欲したる清浄心の発現にほかならず。このゆえに彼らはヘーゲルを聞いて、彼らの未来を決定しえたり。自己の運命を改造しえたり。のっぺらぼうに講義を聞いて、のっぺらぼうに卒業し去る公ら日本の大学生と同じ事と思うは、天下の己惚れなり。公らはタイプ・ライターにすぎず。しかも欲張ったるタイプ・ライターなり。公らのなすところ、思うところ、言うところ、ついに切実なる社会の活気運に関せず。死に至るまでのっぺらぼうなるかな。死に至るまでのっぺらぼうなるかな」

Soseki Natsume. Sanshiro (Japanese Edition) (Kindle の位置No.651-660). Kindle . 

法の哲学: 自然法と国家学の要綱 <a href=*1 (岩波文庫 青 630-2)" title="法の哲学: 自然法と国家学の要綱 *2 (岩波文庫 青 630-2)" />

 

 

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