昭和歌謡とオリンパス E-3
体の傷なら
治せるけれど
こころの痛手は
癒せや しない
沢田研二「時の過ぎゆくままに」(1975年;昭和50年)からの一節ですけど、これ、今でも通用するのかな。今なら「体の傷なら医者にいけ(良い医者にね)、心の痛手を癒すため、慰謝料ください」という感じになるのかな。
悲しみに出会うたび
あのひとを思い出す
こんなときそばにいて
肩をだいて欲しいと
・・・
人はみな ひとりでは
生きてゆけないものだから
中村雅俊「ふれあい」(1974年;昭和49年)より。これ、流行歌だった、ということは、これ、みんなで歌って、「そうそう!」って言って盛り上がってちょっと涙がポロリンとかしていたわけなのですが、今こういう歌をしみじみ歌って、迂闊に目を潤ませたりしてしまったりすると、「孤立してるの?」「期限切れだけど、弁当やろうか」とか、挙句に「10万円あげるべきだ」「いや、半分はクーポンで!」という議論にしかならないのかな。「絆!」「勇気をあげたい!」言葉は反乱し、飛び交うわけなんだけど、「こんな時そばにいて肩をだいてほしい」というだけなんだよね。でもそうすると「それは密です!」「あの、ソーシャルディスタンスって、しってます?」って、あ、そーですか。
たんじゅんに、ただ、分かちあう、っていうことができない社会関係になっちゃったのかな。気のせいかもしれないけど、つまんない世の中になったな。って、いやー、俺もオヤジ化したね。
あなたのために
まもりとおした
女の操
・・・
お別れするより 死にたいわ
女だから
殿様キングス「涙の操」(1973年;昭和48年)より。いやいやいや。日本ってどういう国だったのよって感じだけど、すみません、間違いなく、こんな国だったんです。僕、目撃したから間違いない・・たぶん、今も、かな。長い目でみてやってください。いやーSDGsの道は遠いぞっと。
ふとしたきっかけで70年台の歌謡曲を聞き出したんですが、結構ハマりますね。メロディーが、てか、「メロディー」って死語?とにかく、曲調が懐かしすぎるし、歌詞が凄い。じゅうぶん構造主義的研究の対象となりうる。でも、最近の楽曲より俺はこっちの方がわかりやすくて、好きかな。うん、ほっといて、オヤジだから。
こういうことを書きたかったのではなくて、今回ついにオリンパスE-3を入手したので、嬉しくて、今日撮り歩いた写真をアップしたかった、というただそれだけなんです。
でも、これ、うーん。結局、フォーサーズが正解だったのではないかっておもっちゃいますね。オリンパスのEシリーズは、E620にはじまり、E30、E520、E420、そしてE-1と、ひととおり手にしてきましたが、気のせいかもしれないけど、画像の質感もこれなら不満がなく、こいつで色々と撮影してみたいな、という気になります。E-1も面白いし、他と比較できない個性的な写真が撮れるけど、いかんせんインターフェースが古色蒼然としているので、実用することを考えるならやはりE-3は完成度が高い、と感じます。
しかし、重い。12−60のズームレンズをつけると、オートフォーカスも「爆速」になるけど、手に持って歩いてるだけで、近所の散歩が十分筋トレになります(笑)。