Untitled Trueman's Digital Archive

~Gallery of Hindsight 2020~

Fujifilm X-T4: 上野発の夜行列車

Fujifilm X-T4 + XF18mmF2.0

久しぶりに18mmをつけたX-T4で上野、御徒町あたりを散策。換算28ミリ前後の画角って、何でも面白そうに写るから、やはり面白いし、撮りやすい。でもこのレンズはAFの駆動音がギコギコいうのが気になるので、新しいF1.4を買っちゃおうかな。でもちょっとデカイし、高いんだよな。とうぶんは、今持ってるレンズでいいか。

Leica M Type240: 晩秋、そして「1973年のピンボール」

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上京して大学生として一人暮らしを始めたのは、都内でも有数の広大な墓地のそばにあった民家の二階の六畳間だった。下の階に五歳くらいの小さな女の子のいる夫婦が住んでいて、窓を開けると、見渡す限り墓地が広がっていた。時折夜中に金縛りにあったりすることはあったが、そのようなことを除けば、日当たりの良い、静かで居心地のいい部屋だった。

学校が始まってしばらくすると、悪友もでき始め、特によく一緒につるんでいたのは、近所の商店街から少し奥に入ったところにあった風呂なし共同便所のアパートの四畳半に住んでいた男だった。週末の夜、夕方に酒屋で安い甲類焼酎を買って、ファンタオレンジで割って飲みながら、一晩中いろいろな話をした。今となっては何をそんなに話すことがあったのか、そもそも何を話していたのか、全く記憶にないのだけど。

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とにかく、その男に勧められたのが「ハルキ」だったのだ。

「え、お前、ハルキ読んだことないの?」

「なんだよ、ハルキって」

村上春樹だよ。知らねーの?」

ノルウェイの森」がベストセラーになる前、「世界の終わりと・・・」も出ていなくて、「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」の3冊だけだったけど、買って読んでみた。1984年のことである。

すぐに村上春樹の作品の世界に夢中になったのだが、なぜ、村上春樹の物語に惹かれるのか、その理由はよくわからなかった。時代のキブン、なんとなく憂鬱なかんじ、そして都会的なイメージに惹かれていたのだと思うが、作品自体の意味を深く考えたことはあまりなかった。そんなことよりも他に、楽しくて切迫した問題が、たくさんあったからだと思う。

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ふとしたきっかけで、「1973年のピンボール」を改めて読んでみた。

そして実に感じ入ったのは「物語」の不在である。起承転結が、ないのだ。話の筋はこうだ。

東京郊外のアパートに住んでいる僕は、大学の友人と始めた小さな翻訳会社の共同経営者だ。共同経営者といっても、友人と、僕と、足の長い二十歳そこそこの事務の女の子の3人の小さな会社だ。僕は名前も知らない双子の女の子と一緒に暮らしている。ある日電信会社の技師が「配電盤」を交換するためにアパートにやってくるが、新しい配電盤に取り替えた後、古い配電盤をおき忘れていってしまう。取り外された古い配電盤は徐々に「死んで」いく。そして僕は古い配電盤の「葬式」をするため、共同経営者から借りた車で雨の日曜日に双子と一緒に郊外に向かい、溜池の中にその配電盤を捨てる。突如として(としかいえないほど唐突に)僕は学生の頃(と言っても1973年から逆算して3年前のことに過ぎないが・・・この、眠りにつく前にカントの純粋理性批判を読むという老成した主人公は、なんと24歳という若さなのだ!)に夢中になったピンボールマシンのことを思い出し、そのピンボールマシンの行方を探す。そして意外とあっさりとそのピンボールマシンを見つけ出す(というか、人に見つけてもらう)。東京都内だが、どこか得体の知れない郊外の潰れた養鶏場の冷凍倉庫のなかでそのピンボールマシンと再開した僕は、そのピンボールマシンと手短かな「対話」をする。そして日々は元に戻り、秋は深まり、双子は僕のアパートを去っていく。「何もかもがすきとおってしまいそうな11月の日曜日」に僕はビートルズの「ラバーソウル」を聴きながら、コーヒーを飲む。

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「僕」の物語と並行して僕の高校時代の友人である「鼠」の物語が進行するが、こちらも起承転結はない。大学に馴染めずに退学した「鼠」は毎日バーでビールを飲み、中国人のバーテンダーの「ジェイ」を相手に世間話をするだけが唯一の人的交流という「無為な」生活を送っている。ある日雑誌の不要物売ります買いますのページで見つけた電動タイプライターを買った鼠は、売主の女性と肉体関係を結ぶ。土曜日に彼女と会い、日曜日から金曜日を彼女と過ごした時間の記憶と、ビールの酔いで繋ぎ止めるという生活をしばらく続けた後、鼠は「街」を出る決心をする。いつものバーで「最後の一本のつもりだった」ビールを飲み干し、ジェイに別れを告げた鼠は「街」を見下ろす崖の上に車を停める。

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この、二つの物語というか世界が並走していく構図は、「世界の終わりと・・・」においてより明確に使用されることになるのだけど、これは夢幻能における「シテ」と「ワキ」の関係を思わせる。「鼠」が「シテ」であり、「僕」が「ワキ」なのである。そして、「配電盤」「双子」「ピンボールマシン」も、いずれも「死後の世界」「あの世」「彼岸」からやってきた「死者」たちなのである。

「君のことはよく考えるよ。と僕はいう。そしておそろしく惨めな気持ちになる。

眠れない夜に?

そう、眠れない夜に、と僕は繰り返す」

養鶏場の冷凍倉庫でピンボールマシンと対話する僕は、死後の世界にいるのだ。死後の世界で、死んだ過去の人と対話しているのである。渋谷の翻訳会社を経営し、毎日6本の鉛筆を削り、「バケツに入っているドブ水を別のバケツに移す作業」をする日常は、仮の生活に過ぎず、僕は「死者」たちと再会し、対話するためだけに生きている存在なのである。

「もう行ったほうがいいわ、と彼女が言った。

確かに冷気は耐え難いほどに強まっていた。僕は身震いして煙草を踏み消した。」

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この短い作品を読んだだけでは、何が何だかわからないのだが、それでも「僕」が時々に応じて呟く軽くてシニカルな警句や、全体を通じたなんとなく憂鬱な空気感だけでも何かを伝える力を持っているように感じる作品である。ここで「僕」や「鼠」が喪った、といっているものは何なのか。彼らの喪失感、無力感、失望はどこからきているのか。何が彼らをこれほどまでに絶望させたのか。

彼らは一体何を喪ったというのか?

いずれにしても、この作者が伝えようとしている物語の全体像は、「羊をめぐる冒険」そして「ノルウェイの森」が書かれるまでは、このある意味断片的な、脈絡のない物語からは、誰も明確には予見できていなかったはずである。そうではあるが、この短い一遍の作品単体であっても、何か大きなものが失われ、それが失われたことに対する強い想い・・・「怒り」と「絶望」といってもいいが、そのような強い感情がこの作品の底辺にあることは、十分感じ取ることが出来る。そして、それが何なのか、この作品を土台にして考え、説明を試みることができる、という意味で、やはりこれは一つの完成された物語なのだと私は思う。

昭和歌謡とオリンパス E-3

体の傷なら

治せるけれど

こころの痛手は

癒せや しない

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Olympus E-3 + Zuiko Digital 12-60mm

沢田研二「時の過ぎゆくままに」(1975年;昭和50年)からの一節ですけど、これ、今でも通用するのかな。今なら「体の傷なら医者にいけ(良い医者にね)、心の痛手を癒すため、慰謝料ください」という感じになるのかな。

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Olympus E-3 + Zuiko Digital 12-60mm

悲しみに出会うたび

あのひとを思い出す

こんなときそばにいて

肩をだいて欲しいと

・・・

人はみな ひとりでは

生きてゆけないものだから

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Olympus E-3 + Zuiko Digital 12-60mm

中村雅俊「ふれあい」(1974年;昭和49年)より。これ、流行歌だった、ということは、これ、みんなで歌って、「そうそう!」って言って盛り上がってちょっと涙がポロリンとかしていたわけなのですが、今こういう歌をしみじみ歌って、迂闊に目を潤ませたりしてしまったりすると、「孤立してるの?」「期限切れだけど、弁当やろうか」とか、挙句に「10万円あげるべきだ」「いや、半分はクーポンで!」という議論にしかならないのかな。「絆!」「勇気をあげたい!」言葉は反乱し、飛び交うわけなんだけど、「こんな時そばにいて肩をだいてほしい」というだけなんだよね。でもそうすると「それは密です!」「あの、ソーシャルディスタンスって、しってます?」って、あ、そーですか。

たんじゅんに、ただ、分かちあう、っていうことができない社会関係になっちゃったのかな。気のせいかもしれないけど、つまんない世の中になったな。って、いやー、俺もオヤジ化したね。

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Olympus E-3 + Zuiko Digital 12-60mm

あなたのために

まもりとおした

女の操

・・・

お別れするより 死にたいわ

女だから

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Olympus E-3 + Zuiko Digital 12-60mm

殿様キングス「涙の操」(1973年;昭和48年)より。いやいやいや。日本ってどういう国だったのよって感じだけど、すみません、間違いなく、こんな国だったんです。僕、目撃したから間違いない・・たぶん、今も、かな。長い目でみてやってください。いやーSDGsの道は遠いぞっと。

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Olympus E-3 + Zuiko Digital 12-60mm

ふとしたきっかけで70年台の歌謡曲を聞き出したんですが、結構ハマりますね。メロディーが、てか、「メロディー」って死語?とにかく、曲調が懐かしすぎるし、歌詞が凄い。じゅうぶん構造主義的研究の対象となりうる。でも、最近の楽曲より俺はこっちの方がわかりやすくて、好きかな。うん、ほっといて、オヤジだから。

こういうことを書きたかったのではなくて、今回ついにオリンパスE-3を入手したので、嬉しくて、今日撮り歩いた写真をアップしたかった、というただそれだけなんです。

でも、これ、うーん。結局、フォーサーズが正解だったのではないかっておもっちゃいますね。オリンパスのEシリーズは、E620にはじまり、E30、E520、E420、そしてE-1と、ひととおり手にしてきましたが、気のせいかもしれないけど、画像の質感もこれなら不満がなく、こいつで色々と撮影してみたいな、という気になります。E-1も面白いし、他と比較できない個性的な写真が撮れるけど、いかんせんインターフェースが古色蒼然としているので、実用することを考えるならやはりE-3は完成度が高い、と感じます。

しかし、重い。12−60のズームレンズをつけると、オートフォーカスも「爆速」になるけど、手に持って歩いてるだけで、近所の散歩が十分筋トレになります(笑)。

 

 

 

 

Slow Sunday, Lazy Sunday.

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Leica M + Summilux 50mm ASPH + RAW developed by LR

今日はデジタルカメラを取っ替え引っ替え、うちの猫を撮った。結論として、結局ライカ(フルサイズ)が一番それっぽい写真が撮れるのであった。以上まる。

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Olympus E-1 + Zuiko Digital 12-60mm + RAW developed by LR

しかしそれでは身も蓋もないので、20年前のオリンパスE-1でも撮ってみるわけです。これはこれで味がある・・・とはいえ、被写界深度が浅いのはこれはもうフォーサーズの宿命ですな・・・。日差しも弱く、なんとなくモワッとした感じになってしまった。

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Fujifilm X100V + Fujinon 23mmF2.0 + Classic Chrome

続いて富士フィルム。Classic Chromeというプリセットで撮りましたが、なかなか個性的でいいよね、これ。(訂正:Classic Chromeではなくて、Classic Negaでした。)

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Olympus E-P5 + Zuiko Digital 14-42mm EZ + Jpeg

今回色々比べ出したきっかけというのが、実は昨日衝動買いのこちらのカメラ、我が家のニューフェース、オリンパスE-P5のシェイクダウンです。もちろん中古で入手です。合わせたレンズはなんと電動ズーム。こんなの絶対買わないだろうと思ってましたが、ふとあるきっかけでズームレンズに興味が出てしまい、こちらを入手してしまいました。が、この後外に持ち出して使っているうちに、フォーカスが効かなくなった・・・。ボディの方もなぜかスーパーコンパネが表示されなかったり、少々心許ないが、E-P1につけてもオートフォーカスが反応しないところを見ると、不良はレンズの方かな。。またお店に行くの面倒だけど、予算オーバーで2万円も叩いて買ったので、初期不良で交換だな、こりゃ。。(追記:無事、別の商品と交換していただきました。)

しかしこうして並べてみると・・・ライカを除けば、結局どれも大して変わらないんじゃないかと・・・特にE-1とE-P5は見分けがつかないというか、結構傾向が似てるのね。同じメーカーだから当たり前なのかもしれないけど。ライカはホワイトバランスが変というか、独特の色あいですが、個性的で、何を撮っても「ライカ的」に感じさせてしまうのは、さすがというか、なんというか。

そんなことをして無為に過ごしてしまった、日曜日の午後なのでした。あ、そうそう、こちらが私の新しい相棒です。

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iPhone 11Pro

白って女の子が選ぶ色かなっていう気もしたのですが、ほとんど使われた形跡もなく、外観は新品同然の綺麗さです。ただ、よく考えたらそう言えば、E-M5は買って2年で動かなくなって、メーカー保証で基盤交換になったんだよな。。こいつも調子が悪くなると、今度は保証が効かないのが痛いな〜。

フィルムカメラが50年経ってもいまだに修理しながら使える個体が多いのに比べると、10ねんも立たないうちに足腰が立たなくなっちゃうデジタルカメラって、やはり心許ないな〜って思いました。

とはいえ、撮ってすぐに写真を見れるっていうのは、慣れてしまうと、これはこれでやめられなくなるのですよね。

 

ライカと地動説、そして杉並慕情

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昨日は下井草駅から吉祥寺駅まで、歩きました。

もう冬ですね。天気予報は晴れで家を出た時には暖かかったのですが、下井草駅を降りたら空は曇りがちで、風が冷たい。海から遠く離れているからかな。

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海って意外とあったかいんですよね。地面が意外と冷たいっていうか。

もうずいぶん前のことだけど、12月の下旬に、富士五湖のあたりから身延の方に降りて、そこからホテルをとっていた静岡まで、オートバイで走ったことがあるのだけど、標高が下がり、静岡に近づくにつれて、どんどん気温が上がっていくのに驚いたことがあります。「なんでだろう」って最初思ったんだけど「そうか、太平洋に近づいているからなんだろうな」って気がつきました。山の寒さというか、「海水って暖かいんだな」って1人で感心した、というか、納得したのでした。

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本で読んで知っていることってたくさんあるのだけど、経験として知っていることってごく僅かだと思う。例えば、地球が自転しながら太陽の周りを回っているのって、本で読んで知ってるから知ってるけど、経験として知っているかというと、どうなんだろう。僕自身の経験としては大昔の人がそう思っていたように、太陽や月や星が地球の周りをぐるぐる回ってるっていう方が実際の経験に近いのかもしれない。

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そういうことも含めて、オートバイに集中的に乗っていたあの3年ほどのあいだに経験として僕が知ったことはとても多かった様に思います。片岡義男のエッセイに「オートバイは僕の先生」っていうのがあったと思うけど、まさに、オートバイは僕の先生でした。

「いい先生にめぐりあえて、よかった。」

ちなみに地動説が日本に伝わったのは18世紀の末ごろのことだったようである。

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昨日は、去年の暮れに衝動買いしたライカMにて撮影。この一年、結局フィルム撮影の方に逆流したりして、あまり使っていなかったのですが、保証期間が残り1年ほどになり、故障させると修理代が結構かかる様ですし、保証が切れる前にもっと集中して使わないとソンだ!という持ち前の貧乏くさい考えのもと、意識的に持ち出す様にしています。レンズが50ミリっていうのがあまりシャッター回数が上がらない理由の一つかもしれず、28ミリか、35ミリのレンズを買おうかなっとずっと思っているのだけど、いやいやいや、散財してはいけない、第一高すぎるし!って自分を戒め、「写真は50ミリに始まり、50ミリに終わるのだ」と思い込む様にしています。とはいえ、東京の狭い街中だと50ミリは画角が狭すぎる様なのですよね。。

途中で出会ったのら猫たちを適当な距離で撮るときは「50ミリでよかった!」と思うのですが。

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来年は一年を通じてこのライカMとズミルックス50ミリで1年間を取り通してみようかなって思っています。