Watchout for Heat Shock
日曜日の夜も遅いので、最近お気に入りのカメラの画像をアップロードして、おやすみなさい。ミシェル・フーコー の本、頑張って読んでみましたが。。。いやーよく眠れた。。
今日も暑かった。明日も暑くなりそうです。
Phone-tograph
ずっと自宅でステイホームしてましたが、国家経済のことも考え、連休最終日の本日、携帯電話屋さんに行って、愛用の電話機をレンズが三つもついてる電話機に交換してもらったのでした。
どこにも立ち寄らず帰宅して、データ移行を済ませたら、もう1日も終わり。雨上がりの夏の夕空を撮ってみました。うーん、広角レンズはあまり上下にふらない方が、いいみたいね。今度もっと広いところで試写してみようっと。
久しぶりにカメラ売り場も覗いてみたのだけど、閑散としていてちょっとびっくり。ターミナル駅側のいわゆる大手家電量販店というやつなのですが、デジタル一眼とか弄ってるやつ、誰もいないのでした。
まあ、このご時世で、誰が触ったかわからないものをペタペタ触ろうっていう人がいなくなっちゃったのかな。かくいう私も、感度100のモノクロフィルムを5本ほど仕入れて、売り場のカメラには触れることなく帰ってきたのでした。
いやー。しかしよく写るね。もうほんと電話機で十分かも。被写界深度も合成されたものだけど・・・ライカで撮りましたって言われてもわからない・・かな?
An Image with No Title
今週末も世の中ではいろいろなことがあった。
今日は珍しくお天気が良かったのに、一日中自宅でPCに向かい仕事をしなければならなかったのは残念である。しかし、猫の爪は切ってやったし、庭の紅葉の枝の間にメジロが巣をかけていたのも見つけた。
こんな、まるでわたぼこりのようなきゃしゃな巣で、果たしてヒナが孵えるまで、もつのだろうか、と思わせるような、巣なのだけど。
来週はこいつ(ローライコード )に少し外の空気を吸わしてやりたいな。フィルムも5本ほど調達してあるのだ。
さて日曜日の夜更。小林秀雄と岡潔の対談を読む。俳句について、読んだ人を知っているからこそ面白い句に普遍的な価値がないかというと、そういうふうに断定してしまうと、じゃあ、自分がこうして感じている面白さというものは実体がないのか?という話が出てくる。また、小林秀雄が本当に感銘を受けたのはゴッホの絵の複製で、アムステルダムに行って本物を見たら、色がどぎつくてがっかりした、複製のぼやッとした色合いの方が良かった、ということを言っている部分がある。
名前も顔もない誰かが決めた権威や基準、「あるべき姿」やノルマなどというもの。そういうものから解き洟垂れた時、いろいろなことが面白くなってくるのではないのか。
あとはまた来週にしよう。
Adieu a X
こうしてみると、角ばったM5にはやはり四角いフードが似合います。
以前からMマウントの28ミリの導入を検討していたのですが、今般、程度の良い第2世代のエルマリートが見つかりまして、思い切って入手してしまいました。。
エルマリート28ミリは以前第4世代を持っていたのですが、ある日突如として気が触れてしまった私は、何故か、エルマリートの90ミリ(鏡胴にグッタペルカが巻いてある古い方)と交換当然の安値で手放してしまったのでした。いやあの時は買い叩かれたな〜。「後玉に傷がある」とか言われてしまって、目の前の新しいレンズへの物欲に全くの盲目になってしまっていたのでした。
第4世代が今一つ馴染まなかったのは、大きさと、絞りリングが何だかグラグラするのが気になってしまったんですよね。個体差だったのかもしれませんけど。
第1世代が一番人気があるみたいだけど、M5には後玉が露出計と干渉しちゃうので使えない、っていうことで第2世代を導入することに決めたのでした。
しかしこの間、新機材の導入が毎週のように続いてしまい、当然のことながら金欠状態。いかに昨今の状況から外で飲み歩く機会が減ったとはいえ、資金の捻出を勘がなければならず、ついに、フジのXマウント関係の機材一式に旅立ってもらうこととしたのでした。
つくづくフジのカメラってすごいと思う。独自センサーに、ハイブリッドファインダーに電子距離計、フィルムシミュレーション。。もう、これ以上何が欲しいのよ!っていう究極のカメラだと思います。が、私の場合、何故か、外に持ち出して使ってみようっていう気にならず、いつもお家で猫たちを撮影して終わりになってしまっていたのでした。
是非、相性の合う新しいオーナーのもとで、活躍してほしい。本当にいいカメラだから。
さらばX。
アデュウ・ア・X。
Traveling Unbeaten Roads in Japan
ついに試してみましたよ。「ぢんちょうげ 」。「ぢ」で始まり、「げ」で終わる。う〜ん、ひらかなって本当に奥深いですね。日本人として、何か奥深いところに格納された遺伝子が覚醒するような、そんな感じを受けるわけで、あります。
でも、まあ、自分的にはリピはないかな、と、思ってしまったマシュマロ入りのウィンナコーヒー。生クリームに甘〜いマシュマロの追い討ちは、昨夜も飲み過ぎの年老いたオイラの胃袋には些か重すぎたのであった。。
だがしかし、駄菓子菓子、「もくれん」と言う別メニューがあるのを私は見逃さなかったのであった。こちらはブランデー入りの、ウィンナコーヒー。ちょっと大人の味わいかも。。「もくれん」だったかな。「ひいらぎ」とかだったかも。定かではありません。
ところで、田舎の高校生だった頃「ウインナコーヒー」って、コーヒーにウインナー(ソーセージみたいなやつね)が入った飲み物かな、都会人は変わったものを飲むんだな、と思ってました。お恥ずかしい。
さて、今日も引き続きイザベル・バード「日本奥地紀行」を読み進める。日光を発ち、鬼怒川を遡って会津盆地へ抜けようとする彼女の旅の途上において、宿場から宿場へ、荷物を乗せた駄馬を引く馬子たちに関する記述がある。
「旅が終わると、心づけを欲しがってうろうろしていたり、仕事をほうり出して酒を飲んだり雑談をしたりすることもなく、彼らは直ちに馬から荷物を下ろし、駅馬係から伝票をもらって、家に帰るのである。ほんの昨日のことであったが、革帯が一つ紛失していた。もう暗くなっていたが、その馬子はそれを探しに一里も戻った。彼にその骨折り賃として何銭かをあげようとしたが、彼は、旅の終わりまで無事届けるのが当然の責任だ、と言って、どうしてもお金を受け取らなかった。」
バードの記述のトーンは、その日の気分によってかなり変わる印象がある、というか、母国の妹に宛てた手紙という本来の体裁からか、しばしば辛辣であり、特段日本ないし日本人について良いことを書いたからと言って、何ら見返りもないのだろうし、要所要所でいかに日本人の外見が醜く、背が低くて不格好で「むさ苦しい」かについて、ありのままに叙述しているこの著者による19世紀後半における日本人の、清廉なる所作舞いに関するおそらくは極めて客観的な記述である。明治12年といえば、本当に何もない貧しい時代であったと思うのだけど、いったいどういうことなのだろう。
もっとも、著者によれば、日本人の悪癖というか、一種の風習ないし仕組みとして「上前をはねる」という商的習慣があるということについても言及している。例えば宿に泊まると、宿の主人は勘定を本人ではなくその道案内兼召使的な役割を務めている日本人に提示し、そこで道案内人が何某かの「上前をはねる」のが当地の習慣である、というのである。
この時代から150年。僕たちはこの頃の日本人たちと比べて、変わっていないのだろうか、それとも変わってしまったのだろうか。
Étranger à l'intérieur
外国旅行とか海外留学とか、したこともなかったし、しようと思ったこともなかったけど、仕事で初めて外国に行って、面白いなと思った。ニューヨークにまた行きたいと思っていたけど、もはや一体いつになったらいけるのやら、物見遊山での海外旅行って、当分の間、できないでしょうね。
しかし考えてみると、いろいろな国の人が日本にやってきて、渋谷のスクランブル交差点とか見て、すげえ!って驚いてるのをみると、もしかするとわざわざ外国に行かなくっても、もうこれ以上面白い国はないっていう国に、もともと住んでたんじゃね?っていう気がしてきた。
まさに「自己の内なる異邦人」を発見したわけです。
ということで、最近の私の趣味は「日本」です。っていうとなんだか不穏な雰囲気が漂ってしまうような気がするのは気のせいだと思うけど、とにかくそういうわけで、外国人が日本について著述した本を改めまして読んでいるのですが、このイザベラ・バードという英国人女性が明治の初めの頃に著述した「日本奥地紀行」という本は面白い。
日光から会津に抜ける道中で、しらみとノミだらけの宿で辟易する場面とか、つげ義春の「リアリティの宿」を彷彿させます。日本で感染症が外国のように酷く拡大しないのは、日本人が持って生まれた衛生感覚や生活習慣だ、という説明をよく見かけるけど、こういう記述を読んでいると、日本も昔からずっと今のようにどこもかしこも綺麗で清潔だった、と言うわけではなかったのではないか、と言うように感じる。
これを読み終わったら、キッシンジャーの「ザ・ジャパニーズ」を読む予定。ああ忙しい。
Go Straight
スーッと行って、パッと撮る。ただそれだけ。ただそれだけです。焼肉食べたい。