憧れのオリンパスOM
オリンパスOMシリーズが好きである。OM-1は2台、OM-2も1台、高速シャッターの具合がいまひとつだが、OM-2SPも持っている。OM3やOM4にも手を出しかけたが、そこは正気を保って、少し前にOM-D EM5 Mark IIを導入した。14-150mmの高倍率ズームとの相性は良くなかったが、12-45mmのProレンズを購入してからというもの、とてもバランスの良いカメラになったと喜んでいた私であった。
駄菓子菓子、だがしかし、本日ひさびさに、外に連れ出して撮り歩いてみた結果、このカメラの最大の弱点は、ファインダーであることに気がついたのであった。とてもきれいな写真が撮れるのに、電子ファインダーに写る画像が、なんだか「濁って」見えるのだ。。これ、前から気になっていたのだけど、暗い部屋の中で撮ることが多いので、「条件も悪いしこんなものかな」と思っていたのだけれど、X100VやX-E2ではそこまで気になることはないし、X100やPro-2などむしろ電子ファインダーの方が見えが良いので、光学ファインダーは使わなくなってしまうのだけど、OM-Dの場合、晴天の屋外で使用してみてもやはり何だか違うというか、ファインダーに映し出される画像が、「キレイ、撮りたい!」と思わせるものがいまひとつない様に思うこのOM-Dのファインダー、なんでこうなのか。。
写真はこんなにきれいに撮れるのであるが、このEVFの「見え」がどうもこやつのネックの様である。ええい、この際OM-D EM1 Mark IIIのフラッグシップに乗り換えるか?と思ってしまったが、仕様表を見ると、どうもEM1のEVFもEM5のそれとスペックが特に変わっている様子もない。
最近、スキャナーの調子もどうもいまいちで、ポジフィルムのピントが甘い様な気がして、気になってしょうがない。いよいよ私もカラーに関しては、デジタルへの完全移行の時期にあるのかもしれないと思っている今日この頃、そろそろデジタルで納得のいく愛機を確定したいと思っているのだけど、最初にE620というデジタル一眼を買って以来、オリンパスのファンであり続けていたのだが、どうもミラーレスのオリンパス機とはご縁がなかった様である。。
ま、それも人生。デジタルで納得のいく写真が撮れて、操作感もそれなりに上品なカメラをそろそろ一発、新調しようと考えている秋の夜更であった。
Road to X Photographer
X100Fにするか、X100Vにするかで少し悩みましたが、やはりデジタルは新しいものの方が、それだけ長くアフターサービスや修理してもらえる時間も長いでしょう、ということでVにした。
思えば昔はデジタルカメラは1年ごとにアップデートが繰り返されていて(オリンパスE-P1からE-P2まで、確か半年ちょいでアップデートされたというのもあったような気がする)、どのカメラもそんなには長く使わないでしょ、というのがあったけど、2013年ごろ、普及機のセンサーの画素数が1600万画素程度あたりを超えるようになった頃から、デジタルカメラもほぼ製品としての性能が確立されたというか、どのカメラを買っても画質にしても、AFなどの機能面にしても、実は中身はそれほど違わない、というレベルに達していたような気がします。
そうすると、デジカメといえども、かつてのように短期ですぐに下取りに出して新しいのに買い替え、というのではなくて、お気に入りのものを長く使うという、少しだけ耐久消費財的な側面が戻ってきたような気がしていて、その分、良い製品については、他社の競合品を意識して市場に従属した原価無視の値段設定をするのではなく、躊躇なく強気の価格を設定しようということになってきているような気がするのであって、それはそれである意味健全なことかもしれない。
いやもちろんお求めやすいに越したことはないんだけど、某社のように「儲からないから、もう作るのやめた」と言われても困るのである。
久しぶりに新品でデジタルカメラを買いましたが、よくできてますよ、このカメラ。最初は「ちょっと大きいかな」と感じましたが、持ちなれると十分にコンパクトで、ずっと持ち歩いていても存在を忘れそうなほど、苦にならない。それでいてX-E2のような安っぽさがない(最も、中古のX-E2とX100Vではお値段が5倍違うので、同じ質感じゃ困るんですが)。
X-Pro3のコンパクト派生版という印象を持っていたけど、実はX100の方が小型ハイブリッドファインダーカメラの本家で、X-Pro3の方が、このカメラの大型派生版、ということなのかな。
この「クラシックネガ」というプリセットもいいよ。FとVで悩んでたときは「デジタルなのにフィルムっぽくする必要ないでしょ」って思ったりしてたけど、やはりあるものはないよりはあった方がいい。
開放で接写した時の描写がFの方が良かった、という記事をオンラインでよく見かけるけど、F使ったことがないからわからない。。私はデジタルで撮る時は基本プログラムモードで、あまり絞り開放で何かを接写するということがないし。。試しにやってみたけど、まあこんなもんじゃないのかな〜
ずうっとNikon F3に小さい35ミリのレンズの組み合わせで、日本中を旅してカラーネガフィルムでスナップ写真を撮り続けている写真家の方がいらっしゃるけど、最近X100で撮られた写真を目にするようになった。尾仲さんがデジタルに移行したら、ついにつフィルムも終わりかもしれない。
尾仲さんの写真集は、写真もいいけど、キャプションを読むのが楽しい。
「11月14日 雨 寝台あけぼの 弘前 ヨーカドー 薬膳雑炊 大鰐温泉 大館 おにぎり 特急かもしか ウィスキー水割り こまち 角館 花葉館 刈穂」
いやー、夢が広がる。「刈穂」は秋田のお酒ですよね。あー俺も雨の降る角館に行って「刈穂」呑みたい!とかね。
ところで母艦のiMacを新調して、スキャナドライバーをEpson Scan2にしたら、途端にポジフィルムのピントが甘々になってしまった。Epson Scanでスキャンやってた時はそんなに気にならなかったんだけど。。ソフトウェアのインターフェースもすっかり変わってしまって、どこにどの調整パネルがあるのかさっぱりわからず、苛々する。いっそのことスキャナごと上位機種に交換するか?とか、考えているうちに、ふと、「フィルムに1,800円、現像に1,500円、合計3,000円、1カットあたり90円かけて、スキャナで時間かけて、最終的にこの甘々なピントのデジタル画像を作ってるのって、相当意味なくねーか」って思ってしまった。。
これなら最初っからデジタルで撮ればいいんじゃね?って・・
でもね〜ライカを操作しながら、テクテク歩きながら、写真を撮るのって、やっぱり他のカメラにはない充実感があるのよね〜
あ、だったら、最初っから「デジタル」の「ライカ」で撮ればいいんじゃない?
・・・え?
あることないこと
私が本を読むことが好きになった理由は、子供の頃、家にテレビがなかったからである。
いや正確にはテレビはあったのだが、壊れていて、スイッチを入れてもいわゆる砂の嵐が映るだけだったのだ。
つまり、テレビの機能を果たしてなかったわけ。
ここで大事なことに気がついた。子供の頃、私の家にテレビは「あった」のに、今私はテレビは「なかった」と言いました。これは私がクロニックな虚言癖を有する人物であるということをお示ししているものではなく、言葉の構造がそういう仕組みになっているということである。つまり、私たちの脳にとって、存在と非存在の差異は、「物質」的な点にあるのではなくで、「機能」面にあるのであります。
これを「ポスト物質論的機能主義」という(今、つくった)。
別言すれば、機能を果たさないものは、私たちの脳にとっては「存在しない」と同義であるということを意味するというわけであります。
「であること」と「すること」の違いを指摘したのは70年前の丸山真男でしたが、このように考えていると、実は目の前にあるのだからあるのだと思っていたが、当の目の前のものは実はその機能を喪失していて、あるのだけど実はなかった、ていうか、あるんですよ、そこには、それが。でもそれは実はもうそのあれではなくで、結局それはもうあれではないから、それは実質的にはもうないのと同じ。っていうことになるのです。
日本には民主主義があり、自由がある。でもあるあると思っているだけでは本当にあるのか、実は定かではない。なので、そこにそれがあるということを確かめるために、たまにスイッチを入れて見ることが必要なのかもしれませんね。
あると思っていたものが、実はなかった(いや、あることは「ある」のだけど、機能していないから「ない」のと同じ)と気がついたときには、手遅れだった、ということがないように。
Dancing with Mr. "X"
ここのところストーンズにすっかりハマっているのですが、ソー・ファー、私のマイ・フェイバリット・ナンバーは「Dancing with Mr. D」です。
ついに、というか、フジのXマウント機材一式が旅立ってから3ヶ月程度などで「ついに」っていうほどでもないですね。。私、早々に「X」に舞い戻ってまいりました。。5年以上前からトイレに飾ってある、X-Pro1にXF23mm F1.4で撮ったうちの猫の写真を毎朝眺めているうちに「やっぱプリントして一番見栄えがするのは、フジだな」と今更ながら気がついた。
よーく考えたら、Xが合わないな〜と思った理由は「ちょっとデカすぎて、街中でアイレベルで構えるのに気が引ける」「なんとなく、大きさと重さのバランスが良くない(中が空っぽっぽいような気がする)というものでした。そういえばPro1は、いつかサンディエゴにも持っていったんだけど、体調が良くなかったせいもあるけど、私ともあろうものが、なんと一度もカメラを街に持ち出す気にならず、GRD4しか使わなかった、というのですから、相性というのでしょうか、不思議です。実はLeica M5も同じようなところがあって、M3やM6だったら自然に持ち歩けるんですが、M5になると途端にカメラに振り回されるような感じがしてくるのですよね。
と、ここまで考えてきて
「あ、だったら小ぶりなX-Eシリーズにすればいいんじゃん。結局OVFって使わないんだし」
って気がついてしまった私。
デジタルなんだし、最新型がいいでしょう(もう在庫のみになっちゃってるけど)ということで閉店間際のカメラ屋さんにてX-E3を見せてもらい、危うくお買い上げしそうになったが、クレジットカードを切る寸前に、18ミリをつけたカメラを見ていて「どうもレンズとのバランスが悪いな〜・・レンズデカすぎ、っていうか、カメラがちっちゃすぎる」と気がつき、土壇場で2013年11月発売、7年落ち?のX-E2の方にしたのでした。
早速仕事もほどほどに、早い時間の銀座に出て、夜のスナップ。
うーん、いいよ。これ。いい!
Pro1, Pro2と違い、謙虚で慎ましやかな佇まい。ボタンとかはちょっと安っぽい感じがするというのは否めないけど、今となってはこのカメラ、ほとんど使用感のない美品が4万円もしないお値段で取引されているのです。1500円のポジフィルムで撮影して、1500円払って現像してもらうことを考えたら・・・なんと、「Provia100F」13本分で、ボディ一台買えちゃう。。フィルムが高すぎるんだか、カメラが安すぎるんだか。。
フィルムカメラも好きだけど、先週ポジ2本現像してもらったのを引き取りに行って「2900円です」って言われた時に、私の心のどこかで「く、くはあっ」という声がして、足が萎えていくのを感じたのでした。。
これからはフィルム50、デジタル50の「ハーフ・ハーフ」に移行せざるを得ないかな、って思っている今日この頃であります。
Revenge of "X"
この写真データを家の廉価なプリンターで出力してみた。そうすると、簡単にとてもきれいな写真ができたのでした。
「え、なにこれ。フィルムで撮ったみたい!」
そこで、この写真データも同じように印刷してみた。プリンターの設定など何もなしに、撮ったままのJpegファイルをAdobe LightRoomのプリント画面からそのままへろっと出力。
「え、なにこれ。すごく立体感がある・・・本物の写真みたい!」
「本物の写真」って変な言い方だけど、そうとしか言いようがない。
そこで私は考えた。
どうやら富士フイルムのカメラは、さすが富士フイルムが作っているだけあって、フイルムで撮影した写真をプリントした本物の写真と同じような写真を出力できるような設定というか設計がされているのではないか・・・?
ならば!ということで
Nikon様のフルサイズのデータも印刷してみたが、うーん、なんかベタっとしてるような・・・夜の室内だから条件が悪いのかなっと。
ほんじゃ、ってことでフォーサーズで日中に撮影したデータも印刷してみた。
画像で見るととてもきれいなんだけど、印刷してみるとなんか立体感に欠けるような。。気のせいでしょうか?
X-Pro2に35mmをつけて撮った写真をプリントしたものは影の部分やハイライトの部分にも何だか味?表情?陰影っつうんでしょうか??あるような気がする。こんなに安物のプリンターで印刷しても。。。
これって、もしかして、X-Pro2以下、レンズ3本ライカ マウントアダプターまでつけてまるっと処分しちゃった俺って、もしかして失敗?大失敗??・・・買い戻す?
でも、Pro2売って、またPro2買い戻すのっておかしくない?手放すって決めたってことは、何かあなたにとって合わないところがあったはずよ。それを思い出すのよ!
えーと、なんでだったっけ・・・思い出せない。。ちょっと大きすぎたことかな。あと、大きさの割に軽いので、ちょっと操作している時の充実感のようなものが感じ難かった。外で撮った写真は「パキっ」としすぎているような気がして、あまり好きになれなかったような気がする。。クラシッククロームモードで撮ったからかな。
下の写真はアーケードの中で撮ったので、光が弱まって、いい感じで写っているけど。プロネガスタンダードモードだったかな。フィルムシミュレーションの中では、このPro Nega Standardっていうのが一番好きだった。ああ懐かしい、俺のX-Pro2。
結局、使いこなせてなかったってことね。
じゃ、X100Vにしたらどうかな。。
Twin Twin
通勤途中の朝の空に、ふたこぶラクダのような入道雲が湧いていました。こういうのをみてしまうと、仕事に行く気なくなりますね。
「月の〜 あかりに〜 照らされて〜 旅の〜 ラクダは〜」って子供の頃に歌っていたけど、ラクダってライオンやインドゾウと同じくらい、異国情緒を感じさせるメジャーな動物だったような気がします。(私が子供の頃は日中国交回復前だったから、パンダはまだその存在が知られてなかったのでした。)
あの頃って、いつか自分もラクダに乗って月の明かりの下を旅することになるんじゃないか、っていうような漠然としたイメージがあって、おやつの都コンブなどを舐めながら子供ながらにそのイメージを胸の内でじっと発酵させて、ヒョコヒョコ上下に揺れるラクダの背中や、まばらにゴワゴワとした毛のはえたこぶの触りごこちや、冷たい砂漠の風、水筒の中の水がチャポチャポいう音、明日、次のオアシスに着く前に、砂漠の真ん中でこの水が無くなったらどうしようという漠然とした不安まで、脳内の詩的バーチャル空間において如実に実感していたような気がするのだけど、今(西暦2020年の首都圏)だったら、「ようし、じゃあ東武動物公園で本物のラクダを観ちゃおう」とか言って親がスバルのステーションワゴンとかで連れて行って、はいこれ!って本物を見せてくれるので、イメージが発酵するまでもなく「フタコブラクダ」は賢い少年少女の科学的な知見となって解消されてしまうのではないか。それってちょっとそれはそれで、寂しいことのような気も致しますが、まあ余計なお世話でしょうね。
「ラクダに乗って、こりゃ楽だ!」なーんて駄洒落でみんながドッと笑っていた時代というのも、あったんだよね
ところで何故か我が家にライカM2が二台・・・いや一台目の感触がとてもよくって、つい二台目に手を出してしまった。。莫迦ですね〜。
全盛期のライカの「質感」と、気軽さのバランスが良くて、どうやら私のライカ 遍歴は、M2で止まるような気がして、いま・・・す?
(でも、この先にデジタルライカへの暗〜い道がポッカリと口を開けているような気もします。)
2匹の猫がシンクロで背伸びをしていました。
このエルマリートっていうレンズ、すごくくっきりと写るのね。絞りの開き具合や距離によって、片ボケのような症状が出ることがあるけど、開放で撮ると、ピントが来ているところはクキっとしていて、何だか被写体が浮き上がるような、面白い写り方をします。このレンズ、Fujifilm X-Pro2一式と交換で導入したのですが、気に入っています。
28ミリのエルマリートは以前、第4世代を持っていましたが、その時にはあまり個性を感じることもなくって、ちょっと大きさを持て余すようなところもあったので、うっかりドナドナしてしまったのですよね。NikkorのAi-S28mmF2.8も、売った後で最後に現像した写真を見て、「売るんじゃなかったな」と後悔してしまったことがあります。今改めて探してみると、意外と見つからないのですよね。
こうしてみると、28ミリのレンズって、それぞれに個性があって、日本酒の利き酒?シングルモルトの飲み比べ?的な楽しみ方があるようですね。